【基本情報】
名前:ひろた
性別:女性
年齢:50代
職業:はちみつマイスター
家族:夫と長女、長男と次女
出身:福岡県北九州市
現在地:山口県下関市
実績
・元国内最大の自動車メーカー営業職
・元看護師(某大規模病院の脳外科看護師)
現在運営しているSNS
~廣田養蜂場/五感に残るRAW HONEY~
https://www.instagram.com/hirota.bee.farm/
はじめに
私は恵まれた環境に気づかず、多くの事に不満を抱き続け、社会人になるまで素直に人の話を聞いた記憶がありませんでした。
その傲慢さは、その後大切な母の死を経験することで、心から後悔することとなります。
このブログでは私がわがままで視野が狭かったことから
- 物事を多方面から見ることの大切さ
- 冷静で客観的な判断に勝るものはない
- どんな結果も許容する
ことを学び、そこから毎日を大切に生きようと事業に向き合う姿勢も変わった私の話をしたいと思います。
幼少期~中学生時代:
親の期待と兄との比較に対する反抗
私は、福岡県北九州市の自営業を営む両親の元に生まれました。口数は少なくまじめな父親と、健康が自慢の明るく働き者の母親。そして勉強が出来る兄。
私の小学校時代の成績は下の下。両親が共働きして自宅にいないことをいい事に、
ゲーム三昧の生活を送っていました。
中学生になっても勉強嫌いで成績は下のまま。それにはある理由がありました。
「お兄ちゃんはできるのに…。なんであなたはできないの?」
兄と私の成績を比べる母のその言葉がとても嫌いでした。その一言で勉強に対する拒否感がどんどん強くなり、さらに勉強をしない中学生活を送ることとなります。
高校生~短大生:バイトから学ぶ、ビジネスに必要なコミュニケーション能力
特に将来の夢があったわけでもなく、自分の学力でギリギリの入れる公立商業高校に入学しました。そんな中、母から信じられない一言がありました。
「あなたが商業高校に入ったこと恥ずかしい」
そんなに恥ずかしいのなら私のことは放っておいてよ!と親に対する反発は、さらに勉強しないという悪循環を招きました。
高校3年生の時、母親から
「看護師にならない?それが嫌なら、短大ぐらいは行ってほしい。」
といわれ、その時は看護師なんて考えられないと思い、誰でも入れるレベルの短大に入学しました。
学生時代バイトで接客業で色々な方とお話することでコミュニケーションの重要性を学ぶことができました。
この経験と楽しさが、自分が頑張った結果だけ給与の反映される営業職の道に進むことを決意し、国内最大手の自動車会社に入社しました。
新社会人:給与とは何か、チームワークと目標達成の意味
会社ではチームで当月の目標をたて達成しなければいけない絶対的なルールがありました。結果を出さなければ、給料泥棒と同じ。それが当たり前の世界です。
学生気分でそのまま入社した私とは裏腹に、会社の同期は皆レベルが高く、入社して間もないのに、みな良い営業成績を出します。
え…。何でそんなに売れるの?
月が替わると経験年数別の成績表が全社に配られ、一目で今、自分が同期の中で何番目なのか分かるんです。当然のごとく私は同期で断トツ最下位。
半年がすぎた頃、一番低価格な車でしたが、やっと1台販売することが出来ました。涙が出そうなほど嬉しかったのを覚えています。
人よりも遅いながらも、結果につながった時に行ったことは上司に言われたことを、ただ毎日、確実に実行することでした。
自分のプライドを捨て、お客様の事を1番に考え、がむしゃらに動けるようになってからは営業という仕事が楽しくなり、どんどん成績も上がっていきました。
ふとある時、思います。このまま、結婚して子供が出来る生活を想像できない。その時、以前母から言われた「看護師」ということばが頭に浮かび、社会人を2年経験してのち看護学校に入学。26歳の時に看護師として働き始めました。
26歳~31歳:生と死の間で、看護師の孤独な葛藤
新しい職場は、ベッドが500床以上ある24時間稼働の大病院の脳外科。笑顔で歩いて退院する患者さんもいれば、急に心電図のモニターが0になり全く動かなくなる方など、毎日、生と死を目の当たりにする過酷な戦場でした。
脳外科看護師の主な仕事は、病棟の患者さんの把握と検査・処置・薬の投与。薬には効果と、それを使うことでいくつもの副作用があり、体力の落ちている方や高齢者は薬が効きやすい反面、副作用で急激に体調が変化しやすく、24時間の観察が必用とされていました。
厳重に鍵をかけ保管しなけらばいけない劇薬もあります。いわゆる麻薬です。自分の行動の一つひとつが命にかかわる、人の命を預かる仕事への責任感を感じ、激務のあとは勉強をして次の勤務に備えるようにしていました。
この時の経験で、時間内で必ず仕事を終わらせる行動力と責任感、チームリーダーとしてチームをまとめる能力も身につきました。
看護師となり1年目の時に、当時はまだサラリーマンだった主人と出会い2年の交際を経て結婚。5年勤めた脳外科を退職後は専業主婦として子育てに専念しました。
37歳~友人のカウンセリングから学んだ、思考の現実化
嫁ぎ先の両親は養蜂業をしていました。いちごの受粉のためにビニールハウス内にミツバチを貸し出す仕事です。
結婚して5.6年たったころ、急に主人が決断します。
「会社を辞め、親の跡を継いで養蜂家になる」
当時、幼稚園の年長と年少の2人の子供を抱え、到底ミツバチのレンタル収入だけでは生活できない状況。かといってサラリーマンと主婦だった私たちが、思うようにミツバチを飼うこともできません、ハチミツの売り先さえもありませんでした。
主人の推しの強さに負け始まった養蜂業。平日はミツバチの世話と営業活動、土日はマルシェがあれば出店という生活で休む暇もなく働きました。
徐々に売り上げを伸ばしていく中、38歳の時にやっとできた3人目を出産。それから間もなくして、350群ほどいたミツバチの群れが、急にいなくなります。
周辺の農地で使用された農薬の影響で、ミツバチが壊滅状態に陥ったんです。
ようやく軌道に乗りかけていた矢先の農薬の被害に、主人はとても落ち込みました。しかし当時の私は、養蜂業に対する誇りもやりがいも感じておらず、嫌々手伝っていた状況で、起こっている現状をただ淡々と眺めていました。
そのころ、心理学を勉強していた友人から思いがけない一言を言われます。
あなたがご主人を攻撃するから、ミツバチが農薬で攻撃される。」
友人の話によると、この世は自分が思い描いていることしか起こらない。
今ある現実はすべて私が望み現実になっている、というのです。
思考は現実化する。100%例外なく。
意味不明なことをいう友人の目は真剣そのもの、彼女の話を聞いてみようと思いました。
人は自分のことを5%しか理解しておらず、それは氷山に一角にすぎない。
残りの95%は無意識のうちに働くので、その部分をコントロールすれば自分の思い通りの人生を送ることが出来る。
それには周りの話を聞き実行すること
ミツバチを飼うことは、社会に貢献できるとても素晴らしい仕事、だから絶対に辞めてはいけない、と熱く語っていました。
あまり意味は分かりませんでしたが、とても大切なことを言ってくれているのは伝わりました。
その時を境に、人の話を相手の意図を汲み取り聞くことから始めてみました。
するとどんどん状況が良い方向へと変わり、廃業寸前だった養蜂場はまわりとの話し合いで解決、規模は小さくはなりましたが、これからも続けていけることになったんです。
友人のサポートを受けながら、主人に対する考え方をプライベートと仕事の時には思考を切り替え、仕事の時は代表の右腕として、プライベートでは妻として支える訓練をしました。
会社をどの様に事業を進めていきたいのか、私がどう動けば仕事がはかどるのか、限られた人手と時間を有効活用できるように、主人の話を聞き取り入れるようにしました。
まわりを理解し、必要とされる事に自分の力を使いようにしてからは、自分が社会に役立つことが嬉しく、とても生きやすくなったように思います。
美味しさと安全の追求、本物のハチミツRAW HONEYへの情熱と努力
「美味しさには安全が必須」
それからの私たちは、本物のハチミツRAW HONEYを追求していきました。
養蜂の要は美味しい蜜源植物をいかに確保するか。
まず農薬で汚染された養蜂場から引っ越すために、時間をかけて山の整備をを行い、日当たりの良い綺麗な場所に養蜂場を構え、そこにオーガニックガーデンを作り美味しい蜜源植物の種をまきをしました。
美味しい蜜源植物は動物にとっても大好物。折角芽を出した新芽をシカが群れでやってきては食べられてしまうこともあり悔しい思いもしました。その時には養蜂場全体に柵を作り鹿対策を実施。
外国から入ってきた害虫に食べられた際には、その害虫を駆除してくれる虫を導入して農薬ではなく安全な方法で駆除もしました。
春の花が咲く頃には、自分たちの目で蜜源植物を探すため獣が出てくる山に入り、ミツバチの置けそうな場所を見てまわりました。良さそうな場所を見つけると、次は山の中で地主さん探し。イノシシの罠に書かれた電話番号に問い合わせ、地主さんの所在地を確認したり、周辺の民家さんへの聞き込み調査で探し当て、交渉の末ミツバチを置かせていただけるようにもしました。
毎年地道に養蜂場を増やしていき、蜜源の乏しい場所には美味しいハチミツが取れる花の種をまきを撒くなど、花から育てる努力もしています。
実はいくら安全に美味しいハチミツを作っても、その後の保管状態がとても大切なんです。
通常の養蜂家はハチミツを採取した後、常温で保存します。すると寒くなるとハチミツの中に含まれるブドウ糖は固まる性質があるので固まってしまうんです。保存している一斗缶から出すためには、ハチミツに熱をかけるのですが高温になればなるほど、溶けやすく美味しくなくなります。
そこで私たちはミツバチの巣からハチミツを採取した後も、ハチミツの品質が変わらない様に、自宅の庭に2階建てのハチミツ専用保管庫を作りました。
そこではミツバチの巣箱の温度に近づけた30度から31度の温度管理を24時間365日徹底しハチミツの品質を採れたてそのままの状態で保存しています。
これが私たちの思う「本物のハチミツRAW HONEY」です。
最後に
私たちが美味しさを追求するために行きついた「本物のハチミツRAW HONEY」ご理解いただけましたか。
毎日食べるものだから、ミツバチが花の蜜を集めてできた美味しく栄養価の高いハチミツを食べたい。私も、結婚するまではスーパーのハチミツがそれだと信じていました。
養蜂家でさえハチミツの事を学ばなければ分からないのが現状です。自分が養蜂家になりたての頃、自分が作るハチミツがどんなものかさえ話すことが出来ず、悔しい思いをした記憶があります。そこで日本はちみつマイスター協会でハチミツのことを徹底的に学びました。
ましてや消費者の皆さんが、何が本物かさえわからないのは当たり前の事なんです。
私は両方の立場から本物のハチミツを心から作りたいと思い、苦労して作ったハチミツを「本物のハチミツ=RAW HONEY」と呼んでいます。
こちらのブログサイトでは、市販で出回っているハチミツと、私の思う本物のハチミツRAW HONEYのことについて、徹底的にお伝えしていきたいと思います。
弊社のRAW HONEYに興味を持っていただけると嬉しいです。
本物のハチミツRAW HONEYは以下よりご覧いただけます。
最後までご覧いただきありがとうございました。